![[Es ist gut]哲学者紹介⑨〜カント編〜](https://sakizaki.com/wp-content/uploads/2021/05/nigaoe_immanuel_kant.png)
どうも、Sakkiです。
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本日の記事は長くなります。
ご注意くださいm(_ _)m
最初からどデカい問いを皆様に送りますが、
人格というものはどういう意味かご存知でしょうか?
心理学上では各人固有の個性といわれていますが、
倫理学上では道徳行為の主体としての個人を指します。
近代の世の中では人間性の尊重を主張したルネサンス=ヒューマニズムが台頭し、
モラリストと呼ばれる方も現れだしました。
今の民主社会を支えている『人間尊重』という捉え方。
そのベースとなる『人格主義』というものを考えた方。
それが本日紹介する方です。
ということで本日の哲学者はこちら!

イマヌエル・カントさんです。

そうですね、たくさんいらっしゃる哲学者の中で好きな方の一人です。
ということで今回は、
- カントさんの生涯
- 思想
についてまとめます。
それでは参りましょうヾ(・◇・)ノ

本日の題目
・カントさんの生涯
・思想
・思想
・カントさんの生涯
前回の記事では物凄く長くなってしまったので、
必要なところをかいつまんでちょこちょこ補足を入れていきます。
Wikipediaではこうまとめられています。
プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である
Wikipedia イマヌエル・カント
さて、今回のカントさん。
生まれはケーニヒスベルクというところです。
元は東プロイセンの領地だったのですが、
現在はロシアのカリーニングラードとなっています。
1740年にケーニヒスベルク大学に入学、神学と哲学を学びます。
自然学にも関心が行き、教授のクヌエッツェンのもとで研究をします。
しかし、6年後同大学を去ります。
父親のタヒや教授との折り合いがつかなかったりが重なったりしたようです

そんときは家庭教師として生計立てていたよ。
1755年に母校の大学の私講師に就任(31歳)、
1770年に同大学の教授に就任します(46歳)。
戦争で白紙になったり固辞したりしましたが、教授に任命されました。
その後、1781年に「純粋理性批判」。
1788年「実践理性批判」、1790年「判断力批判」を出版します。
これが後の時代で『三批判書』と呼ばれるようになります。
そして1804年、生まれのケーニヒスベルクにて亡くなります。

俺は簡素にしろと頼んだんだがな・・・。