スポンサーリンク

どうも、Sakkiです。

前回は悩みに対して向き合った釈迦さんを紹介しました。

↓記事はこちら↓

哲学者紹介第二弾、本日はこの方

https://publicdomainq.net/statue-confucius-0012221/

孔子です。

言行録の『論語』が有名な御方です。

この方の思想を儒教というわけでございますが、

宗教というわけではごございません。

それでは参りましょうヾ(・◇・)ノ

本日の題目

スポンサーリンク

・孔子の生涯
・説いたこと
・現代に応用できそうなこと

・孔子の生涯

紀元前(B.C)551年〜479年(換算72歳)

約2600年前の中国は春秋時代と呼ばれる時代であり、

各地の武将は国を治めるため有能な思想家を欲しました。

そこに孔子が登場したわけです。

概略はこちら

西暦年齢生涯
紀元前
551
0昌平郷で出生(姓・孔、名・丘(きゅう)、字(あざな)を仲尼(ちゅうじ)として)
母は巫女で父は武人であったが、孔子2歳の頃に父が逝去。
53813学問を志す
53417結婚、翌年孔鯉(こうり)が出生する。
20代にして魯の下級役員となる。
51734君主が斉(せい)に亡命したため、その後を追う。
51041魯へ戻り私塾を開く、弟子の教育に力を入れる。
49754貴族を打倒し国政改革を図るものの失敗したため魯を去る。
以後、衛をはじめとする諸国を14年間放浪する。
理想政治(徳治政治※後ほど解説)を説くが用いられなかった。
48467魯に戻り弟子の教育に専念する。この年息子の鯉が逝去
48269最愛の弟子の顔淵が逝去、息子に続く不幸に深い悲しみを覚える
48071弟子の子路が衛の内乱の中逝去
47972この頃逝去(Wikipediaでは74歳で逝去とされる)
その時の話は以下に引用。

曲阜の城北の泗水のほとりに葬られた。前漢の史家司馬遷は、その功績を王に値すると評価し、「孔子世家」とその弟子たちの伝記「仲尼弟子列伝」を著した。儒教では「素王」(そおう、無位の王の意)と呼ぶことも多い。

Wikipedia−孔子 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90

経歴を見るととてもすごい方ですね。

エピソードとしてこのようなお話もあります。

音楽好きで、斉の宮廷楽団の演奏を聴いた際、感動のあまり3ヶ月間肉の味がわからなくなったという。

最新図説 倫理- 浜島書店

とても感動しているようですね、どのような曲なのか聴いてみたいヾ(・◇・)ノ

スポンサーリンク

・説いたこと

この方は何を考え、何をまとめたのか。

管理人B
『論語』の人としか認識ないけどな・・・

孔子=論語という構図が出来上がっていますが、

孔子が論語を書いたわけじゃないのですよ_(:3」∠)_

管理人B
え?まじですか??

それはどこから分かるか。

論語は序盤からこう書かれていますね?

「子曰く、〜〜」と

これを現代語に置き換えると、

「先生が仰った。〜〜」となります。

このような書き方がされているのは、

孔子がこの論語をまとめたのではなくお弟子さんが編纂した言行録が

『論語』だからなのです。

その論語で、孔子はお弟子さんになんと伝えたのか。

簡単にまとめてみます。

まず、孔子は

孔子
春秋の争乱においてどういう政治が行われるべきだろうか?

と言うことを模索しました。

そこで生まれた国の魯を建国し、

聖人として名高い周公旦(シュウ・コウタン)という人物の政治を理想としました。

次に孔子は、こういう事を考えました。

孔子
人間関係の普遍的な原理(日頃から守るべきもの)を「道」に例えよう。
その根本は仁(人を愛する心)に存在しているんだ。

ここで人を愛する心という意味の「仁」が出てきたわけですが、

この言葉はまた2つに分けることができます。

それは「考(こう)」「梯(てい)」です。

表にするとこのような感じです。

両親や祖先への敬愛
年長者への従順な気持ち

「梯」に関しては、色々言いたいことはありますが(-_-;)

孔子はこの二種類の「仁」を根本に、

道(人倫の道)・日頃から守るべきものを持ち合わせることで、

求める政治が達成されると説いたのです。

この教えは中国や東アジアに影響を及ぼしました。

スポンサーリンク

Twitterのフォローお待ちしております。

おすすめの記事