![[意志と表象としての世界]哲学者紹介⑭〜アルトゥル・ショーペンハウアー編〜](https://sakizaki.com/wp-content/uploads/2021/06/nigaoe_schopenhauer.png)
どうも、Sakkiです。

前回はマキャヴェッリさんを紹介しましたが、
こちら側の不手際により非公開にしています。
公開を再開させたらここに埋め込みますので、もうしばらくお待ちください。

管理人B
よぉ言うと社交的やけど・・・、ちょっと好色家のような気もしたわね。
本日もまた面白い方を紹介していきますよ。
ということで本日はこちらの方!

アルトゥル・ショーペンハウアーさんです。
ということで今回は、
- ショーペンハウアーさんの生涯
- 影響を受けた人物
- 思想のまとめ
についてまとめます。
それでは参りましょう!ヾ(・◇・)ノ
本日の題目
・ショーペンハウアーさんの生涯
・影響を受けた人物
・思想のまとめ
・影響を受けた人物
・思想のまとめ
・ショーペンハウアーさんの生涯
改めまして、本日の哲学者はアルトゥル・ショーペンハウアーさんです。

ショーペンハウアー
はい、よろしくお願いします。

管理人B
ちょっと失礼だとは思うとるんやけど、
日本ではそないに大々的に取り上げられておらん方よね?
日本ではそないに大々的に取り上げられておらん方よね?
いや、だいぶ失礼ですよ(-_-;)
確かに教科書では大々的に取り上げられていないのですが、
この方もまた面白い思想を残した人物なのですよ!

管理人B
はぇー、コレまた楽しみになってきたわ・・・

ショーペンハウアー
そう言っていただけるとこれまで研究してきた甲斐がありますね。
本日も表にまとめまして、ショーペンハウアーさんの足跡をたどります。

ショーペンハウアー
これを楽しみにしていたんですよ。
いったいどのように紹介がなされるのか・・・
非常にワクワクしています。
いったいどのように紹介がなされるのか・・・
非常にワクワクしています。
↓その表がこちら↓
西暦 | 年齢 | 出来事 |
1788 | 0 | 長男として裕福な商人の父とトロジーネル家出身の母親との間に生まれる |
1800 | 12 | 3カ月家族でプラハ旅行。 |
1803 | 15 | 1804年までヨーロッパ周遊大旅行へ家族と行く。これらの旅行から早くも厭世主義的な気分や判断がみられる。 |
1806 | 18 | 父の不慮のタヒにより伝統あるショーペンハウアー商会が解散する。 義務的に続けられる商業教育と精神的な仕事への渇望との板挟みに会い苦しむようになるが、原稿を書店に渡した後イタリアに旅立つ。 翌年、母からの手紙で学問の道に進むことへの助言と励ましを与えられ、これがアルトゥールの将来を決定することになる。 |
1819 | 31 | 『意志と表象としての世界』を刊行するものの、商業的には失敗に終わる。 6月、預け先の銀行が倒産したことによりワイマールへ戻る。 |
1820 | 32 | 「哲学総論、あるいは世界の本質および人間の精神の学説について」というテーマで毎週五回講義するも、自分の講義を故意にヘーゲルの主講義の時間に合わせたため、聴講者が集まらず失望する。 |
1825 | 37 | 再びベルリンへ戻り、改めてベルリン大学で講義を行なおうと試みる。 講義への聴講届は多かったものも、相変わらず理解されないままであった。 |
1828 | 40 | 『意志と表象としての世界』第二版を意図した、「わが父の霊に」という献辞を書く。 |
1829 | 41 | カントの主著を英訳して出版することを計画。 |
1836 | 48 | 『自然における意志について』がジークムント・シュメルベル書店から刊行。 |
1843 | 55 | 『意志と表象としての世界』の続編が完成。 |
1860 | 65 | 逝去 |
簡単なプロフィールはこうなります。
アルトゥール・ショーペンハウアー(独: Arthur Schopenhauer,1788年2月22日 - 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)。
Wikipedia−アルトゥル・ショーペンハウアー より引用

管理人B
哲学の先生って決まって本書いて出版しよるな。

ショーペンハウアー
本だったり新聞が主流な時代でしたからね。

管理人B
読んでみたいのもあるんやけどややこしそうで・・・

ショーペンハウアー
今の世の中は便利そうですから、
要点をまとめた本もあることでしょう。
それを見ても面白くなるはずですよ。
要点をまとめた本もあることでしょう。
それを見ても面白くなるはずですよ。