![[国学に触れた]哲学者紹介⑩〜本居宣長編〜](https://sakizaki.com/wp-content/uploads/2021/05/pixta_31609055_M.jpg)
どうも、Sakkiです。

毎週土曜日は哲学者紹介。
ついに十回目ですよ、Bさんヾ(・◇・)ノ

管理人B
せやな〜、これもまためっちゃ続いとるよね。
それだけ取り上げたいお方がたくさんいらっしゃるのですよ。
それだけ哲学というのは面白いんだ、ということも伝えたいですからヾ(・◇・)ノ

管理人B
というよりあんさん、聞いてよー。
どうされました?隣町のスーパーで特売がありました?

管理人B
そんなんやのうて!
一回目がインドの人で二回目が中国の人で、
それ以降がヨーロッパの人が続いとったやん?
ぼちぼち別の地域の哲学者も見てみたいわ。
一回目がインドの人で二回目が中国の人で、
それ以降がヨーロッパの人が続いとったやん?
ぼちぼち別の地域の哲学者も見てみたいわ。
なるほど、それもそうですね。
ではBさんの期待に答えることとしましょう。
ということで本日の哲学者はこちら!

本居宣長さんです。

管理人B
ついに日本の人やね。
比較的理解が簡単にできそう。
比較的理解が簡単にできそう。
このブログ内での初の試みです。
それでは参りましょう。ヾ(・◇・)ノ

管理人B
一緒に勉強していこうな〜!!
本日の題目
・本居宣長さんの経歴
・思想
・思想
・本居宣長さんの経歴
改めまして、本日の哲学者は本居宣長さんですヾ(・◇・)ノ

本居宣長
本日はよろしくお願いいたします。

管理人B
お!前回の人とちごて礼儀正しい人やがな!
Bさん、あの方に失礼ですよ!(-_-;)
前回の記事はこちら
では、このページでは本居宣長さんの経歴についてまとめます。
Wikipediaではこのようにまとめられています。
江戸時代の国学者・文献学者・言語学者・医師。荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされる[4]
国学者でありながら医者でもあったんですね?

本居宣長
ええ、修行のために京都へ向かいまして。
宝暦の2年に松阪にて開業しました。
宝暦の2年に松阪にて開業しました。

管理人B
ほんまに?めっさ頭がいいのね!
そして遊学(勉強しに他の地域に行くこと)先の京都で、
ある方の文献考証を読んで国学の道を志したんですよね?

本居宣長
はい、契沖殿ですね。
反朱子学の荻生徂徠さんに関心が向き、
古典学を熱心に研究しました。
反朱子学の荻生徂徠さんに関心が向き、
古典学を熱心に研究しました。
そして研究を続けていた33歳の頃、
敬慕している国学者の賀茂真淵さんとお会いしたのです。

管理人B
ほんまに?めっちゃ良かったとちゃうん!?

本居宣長
その時は本当に嬉しく思いましたよ。
その頃「古事記の注釈をしたいんです。」という相談をさせていただきまして。
そうしたところ『私は古事記の解説のために万葉集を研究しました。
あなたであれば解明ができるでしょう。』といっていただき、嬉しく思いました。
その頃「古事記の注釈をしたいんです。」という相談をさせていただきまして。
そうしたところ『私は古事記の解説のために万葉集を研究しました。
あなたであれば解明ができるでしょう。』といっていただき、嬉しく思いました。
そうして約35年を費やし、前人未到の精密・詳細な『古事記伝』が完成。
全巻が完成したのは68歳の頃でした。
そんな本居宣長さんは1801年、71歳でその人生を全うしました。